「書けない」は言い訳

2025/01/17

日常

長編小説を書きたいと思って、はや9年。完成の見通しは立たない。「小説の書き方」の本を読み漁っては、言い訳ばかりして書けない。

書けないのは当然だ。小説を書いていないのだから。

構成もアウトラインもできているのに、書き出してうんざり。物語というより説明文だ。でも文章にして初めて、自分の語彙の少なさや構成の甘さに気づく。書かない限り、改善点は見えない。

ノウハウ本を読み続けるうちは、私の長編小説は一生完成しない。なぜなら、この感覚は留学前と同じだからだ。

留学前の私は、「1週間で英語が話せる」「これさえやればOK」という本を読み漁り、高い教材を買った。結果、英語ができた気になった。数日経てばまた新しい本を買う。

積み上がっていく教材に対し、学んだ単語ひとつ言えない。

もちろん、ノウハウ本を読むのも大事だと思う。でも私の場合、「簡単で楽に、英語が話せる方法がどこかにある!」と思った。たくさんの本を買えば、その答えが見つかると思い込んだ。冷静になってみると、心地いい言葉に踊らされただけ。本に費やしたお金で、留学できたように思う。

読んで満足していては、すべてが空想のまま。技術を習得するのに楽で簡単な方法なんて、どこにもないのでは?

結局は、自分で考えて行動することが大事。英語も生活で使って、恥ずかしい・悔しい思いをして初めて、学びになる。

小説も「書く」しかない。楽な方法だけを探して、「書けない」と言うのは言い訳。

物語を完成させるために、1日1行でも書く。メモだけでもいい。構成を頭のどこかで考えるだけでもいい。今日も、そうやって進めていく。

ノウハウはもう充分知ったはず。もっと「心」で物語を書きたい。

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