今の時代だからこそ、私は個人ブログに戻る。
理由は、人の意見に左右されずに済むから。私は人の影響を受けやすい性格だ。自分の持っているりんごが「赤」だと思っていても、周りのみんなが「緑」と言えば自分を疑う。
SNSが当たり前になった今、本当の気持ちを言葉にできる人はどれくらいいるだろう。
「ライク」に振り回され、私はその数を自分の価値だと思っていた。バズる、炎上、フェイクニュース。幸い自分に関わりがないけれど、見聞きするだけでうんざりする。煽りや誹謗中傷が当たり前のようになり、大人がルールを守れていないように思う。
多くのブログサービスも、SNSのようだ。私はnoteを8年続けて、人にウケそうなものを考えながら文章を書いた。本当はそんなことをしたくないのに。人にチヤホヤされるためには、「みんな」がやっていることをすればいいと思っていた。
いつまで経っても、何も変わらない自分。他人が私を見つけてくれる、という淡い期待。努力を少ししただけで成果を求めて、思う結果にならない。うまくいっている誰かを羨む。
いい加減、流れを変えたくて個人ブログを再開した。ここなら自分しかいない。誰の意見にも影響されることなく、文章が書ける。
そして、素直に書いた文章は誰かに届くと信じている。必ずしも、SNSで血眼になって頑張らなくてもいいのでは?
旦那さんを見て、そう思った。彼は絵を描いたり、ウェブデザインをしたり、ゲームを作ったりしている。以前はSNSで絵を投稿していたけれど、そこに重きを置くのをやめたそう。
今は自分の好きなように創作をし、周りの人に見せるくらい。そして気がつけば依頼が増え、彼の作品と能力がどんどん評価されるようになった。
ちゃんと見ている人はライク数ではなく、能力や努力を評価することが多い。
私が本当に求めているものは、これなのかも。まずは自分しかいない場所で、本当の気持ちに向き合って、言葉にすること。それができていないのに、評価を求めることもできない。
とはいえ、正直なところまだ怖い。ライクボタンもなく、noteに比べると読む人はほとんどいないから。ネットの広い海どころか、深海に潜っているような気分。
文章を書くのが好きでも、自分のためにすらならなかったら?だけど、私と同じように考える人がひとりでもいたら、その人に届いてほしいと思う。
今はこう書いておきながら、noteに出戻る可能性もある。人の心も諸行無常だし、その時はその時だ。
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