Wishlistと、何も考えなかった頃の自分

2026/01/11

エッセイ

新年がやってきて、SNSやnoteでもWishlistを見かけることが増えた。

私は、このWish Listが苦手。

正確には、現実から目を逸らしていた、かつての自分を思い出して嫌になるのだ。

過去に私も、リストを作ったことがある。

「そのリストを100個書いてる時間で、何個か達成できそうやけどな〜。」

旦那さんに言われた。

例えば、「新しいカフェ見つける」。

たしかにリストを書いている時間で、カフェを1軒見つけられると思った。

目標や抱負って言葉は重いけれど、Wish Listは響きが柔らかい。「もし叶わなくても、小さな願望だし」と逃げ道を作りやすかった。

カナダに来てから、日本語圏と英語圏で「Wishlist」の捉え方が違うことを知った。

英語圏では、通販のアマゾンの「Wishlist」のように「ほしいもの」リストを指す。

日本語圏では「目標」リストの意味合いが強いように感じる。

多くの言葉が、その国によって受け入れやすい形に変わっていくのは自然なことだから、日本人好みに変化したこと自体は悪くないと思う。

ただ、今すぐできることばかりを並べて、大きな目標みたいに扱うのが引っかかる。

日本のWishlistには目標、TODO、Bucket listが混ざっているのも違和感がある。

だけど正直、そうなってしまう気持ちはわかる気がした。

響きのいい言葉って、ラクだ。何も考えずにその言葉に従えば、「理想の自分」になれるから。

キラキラしたリストなら、考えるだけでも楽しい。でも本当の目標は少し難しくて、達成できなかったら恥ずかしい。

旦那さんに出会う前の私はそうだった。

しんどいことに目を逸らして、引き寄せの法則や「書けば叶う」ものにすがった。そういう本に書いている大金、成功や豪邸が、自分の”幸せ”だと思い込んだ。

現実があまりに過酷だと、何かにすがりたくなるのも自然なこと。

だけど私は、「書くだけ」で叶ったものは何もない。後から意味付けしたものはあるけれど。

いつしか使い切れない手帳が増え、現実の自分の心と財布は空っぽだった。

自分の頭で考えずに、人生の選び方を流行に委ねてしまっていいのだろうか?

そう考えるようになってからは夢を並べる代わりに、嫉妬や悔しさなどの負の感情、嫌だった出来事をノートに書いた。そこから、今後の自分はどうありたいかを考えた。

あれこれ考えた末、私が本当に欲しかったものは、ごく普通の日常だった。

信頼して心の内を明かせる友人や家族、美味しく楽しい食卓、健康、趣味、安心して眠れる家。

この体験から、何かを決める時は、響きのよさや見栄ではなく、自分が心から納得できるかどうかを大事にしたいと思うようになった。

今でも、ときどき響きのいい言葉に引っ張られそうになる。

そういう時は、これが自分が本当に欲しいのか、したいのかを立ち止まって考えるのを意識したい。

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