『砂の王国(上・下)』を読んだ。読み終えた感想は、「自分で考えないことの怖さ」だった。
主人公は家も、妻も、仕事も、全財産も失いホームレスになった。そんな彼が宗教団体を立ち上げての仕上がる話…かと思いきや、話は怪しい方へ傾いていく。
前半は、「うまくいっている」と感じさせる展開が続く。人の悩みを引き出し、その人が欲しい言葉を返すことで、少しずつ信頼を得ていく。
押し売りや勧誘もない。会費も取らない。孤独な人たちが集まり、前向きになっていく様子は、健全なコミュニティのようにも見える。人が集まり、つながりが生まれ、周囲にも良い影響を与える。
だけど、少しずつ空気が変わっていくのが不穏。
この作品は、宗教の善悪というより、「人がどうやって、宗教にハマっていくのか」という過程を描いている。
人は、自分が欲しい言葉をくれる相手を信じやすい。とくに、孤独や不安を抱えているときほど、その傾向は強くなる。
人間関係を壊そうが、それまでの生活が損なわれようが、自分の信じるものを人に理解されたい、認められたいという欲望のもとに、どこまでも突き進んでいく。
私自身も、かつて「引き寄せの法則」にハマっていたことがある。
うまくいかない現実に向き合うよりも、「これさえやればいい」といった分かりやすい言葉に頼った。自分にとって都合のいい言葉だけを受け取り、それを疑わない状態になっていたと思う。
これは、今の社会でも多くの人が他人事ではないと思う。SNSの環境に、似た構造を感じる。
自分の好みに合った情報ばかりが流れてきて、違う意見に触れる機会が少ない。限られた価値観の中でやり取りが続き、少し外れた意見が出ると対立が起きる。
強い言葉だけが悪目立ちし、落ち着いて考えることができなくなっているのではないか。
こうして考えると、「孤独」と「自分で考えないこと」は無関係ではないと思う。孤独なとき、人は誰かに答えを出してほしくなる。
自分で考えることを放棄した人ほど、外から与えられる分かりやすい言葉にすがりたくなる。その結果、同じ考えの集団の中にとどまり、疑う視点を失っていく。
『砂の王国』で描かれているのも、まさにそうした状態だ。
この本を読んで改めて感じたのは、どれだけ魅力的に見える人、ものや考え方でも、そのまま受け取るのではなく、自分の頭で考えることの大切さだ。
フォロー数や人気度などのわかりやすい数字、肩書き、「これさえやればいい」といった単純な言葉ほど、距離を取って見る必要がある。
時間も手間もかかるが、「吟味すること」を省けば、人は簡単にラクな方へ流されてしまう。
きれいな言葉を信じるな。みんなが信じることを信じるな。他人に未来をゆだねるな。君を変えられるのは君だけだ。自分の頭で考えろ。
物語としては、序盤から中盤にかけて強く引き込まれただけに、終盤はやや物足りなさが残った。
話が広がったわりに、伏線が回収されていない。あと、主人公が最終的に何がしたかったのかもよく分からない。上下巻あったのに、この終わりには少しがっかりした。
私が思うに、最初はどの団体もまともなのかもしれない。信者が増えると管理できないから、欲の多い人によって団体が利用されるのかも。そこから、宗教=怖いになるのかもしれない。
引き寄せの法則を信じた私も、宗教団体運営に奮闘した主人公も、目が覚めると、砂のお城みたいにあっけない。跡形も残らず、虚しい結果になると思った。
だから、自分で考えないといけないんだろう。
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