『贖罪の奏鳴曲』感想:「償う」と「贖罪」の違い

2026/03/23

読書

中山七里さんの『贖罪の奏鳴曲』を読んだ。この本のテーマは「贖罪」だ。

「罪を償う」と「贖罪」の違いが気になって調べてみた。

「贖罪」は、終わりがない。「罪を償う」は、区切りがあるとのこと。例えば、刑期を終える、賠償や謝罪するなど。

主人公の御子柴は弁護士をしている。彼は凶悪犯の弁護をしたり、高額な依頼料を取ったりするため、世間からの評判は良くない。

しかし、彼は感情や評判に左右されることなく、報酬以上の仕事をして、無罪を勝ち取ることもある。

そんな彼には、10代の頃に幼児を殺害し、少年院に入っていた過去がある。

少年院時代の話を読んだ時、「なんて奴なんだ」と思った。

私の印象では、彼にとっての殺人は、アリを殺すようなものに思えたからだ。

彼は自分の感情や周りにも無関心で、むしろ見下しているように感じた。

頭が良いから、大人が望むことを言ったり、反省しているように振る舞ったりすることもできる。

「償いというのは言葉じゃなくて行動だ。だから懺悔は口にするな。行動で示せ」

少年院の稲見教官だけは、御子柴の嘘を見抜いていた。

この教官、少年院の子たち、さゆりのピアノとの出会いによって、御子柴は「贖罪」というものを考え始める。

この「贖罪」という言葉を見て、私には何年も反省し続けていることがある。

過去に、同性が好きな友達に「『普通』じゃない」と言ってしまったのだ。私は異性が好きなのが「普通」だから、自分と違うのは変だと思った。

その場の空気がおかしくなったことも、友達が私を避けるようになった理由も分からなかった。

無自覚の差別に気がついたのは、何年も後。謝りたいと思ったけれど、すでにその子は引っ越していたし、当然ながら連絡先もブロックされていた。

人づてに連絡を取ろうかとも考えたが、それは自分がスッキリしたいだけではないかと思い留まる。相手は私と関わりたくなくて連絡を断っている。

謝っても、嫌な記憶を蒸し返すだけになるかもしれない。

だけどこのままでは、逃げているような気もする。それの繰り返しで、今も答えは出ない。

謝ることは正しいと思う。でも、それではなかったことになってしまう気がする。なぜなら、私は「謝る=解決」と思うからだ。

もしかすると、「贖罪」とは許してもらうのではなく、同じことを繰り返さないようにどう生きるか。それを考え、行動し続けることなんじゃないか。

この本を読んで、そう思った。

だから、贖罪には終わりがないし、その行動が正しいのかどうかを自分で考え続けるしかない。

私が友達に発した言葉は、無知から出たものだ。周りの大人やテレビの言うことをそのまま信じて、自分で考えていなかった。それが嫌で、今は勉強をしている。

でも学べば学ぶほど、自分の中のあらゆる差別や偏見を、完全になくすことはできないと知った。知識を自分のものにするのは難しいし、時間がかかる。

「決して楽な道を選ぶな。傷だらけになって汚泥の中を這いずり回り、悩んで、迷って、苦しめ。自分の中にいる獣から目を背けずに絶えず闘え」

怠けそうな時、稲見教官の言葉を思い出すようにしたい。口だけでなく、行動する。

贖罪というテーマを通して、人がどう生きていくのかを考えさせる本だった。

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