「国語便覧が完売」というニュースを見た。思わず、「わかる!」とうなずいてしまった。
私にとっての便覧は、ただの教材ではなく、心の相棒のようだからだ。
便覧は必要な情報がぎゅっと詰まっている。写真も多いから見やすいのも魅力。内容は、著者の思想のような偏りがない。そのため、安心と信頼を持って読めるのがいい。
とはいえ、学生時代の私は勉強をしなかったし、便覧の必要性も分からなかった。
8年くらい前にいきなり『枕草子』にハマった。現代語訳を読んだけど、平安時代の文化が分からない。それで、旦那さんが国語便覧を勧めてくれた。
『枕草子』の基礎情報、時代背景、作者のこと。必要なことが、簡潔に書いてある。
便覧で私が一番よく開いているページは、藤原一族の家系図。古典の内容を理解するのに役立つ。
それらを読んで、「へぇ〜そうなんや」と思う時間が好き。そこから、便覧に大きく取り上げられている古典作品はほとんど読んだ。
百人一首も、便覧には現代語訳と解説が載っている。子供の頃は意味が分からなかったのに、今読むと共感と感動がある。
たとえば、恋い焦がれる気持ち、親が子を思う気持ち。人の感情は、1,000年経っても変わらない。言葉ってすごいなと思った。
文豪の小説もよく読むから、便覧の作者ページは助かる。その人の生涯、代表作も載っている。その人となりを知って、作品を読むとまた違った印象を受ける。
私にとって便覧は、人の気持ちや背景を知ることができる“言葉の地図帳”のようにも感じられる。
平安や文豪の時代は、直接言えなかった不満や思いを作品にしていることもあると思う。現代の人もそれを読んで共感したり、感化されたりする。
作者たちは亡くなっているが、その言葉と作品は今も生き続けている。
私たちの生活に言葉は切り離せない。
話す、聞く、書く、思う。言葉があるから、人に思いを伝えられる。人に気持ちをわかってもらえる。言葉によってたくさん傷つけられるし、自分が誰かを攻撃することもある。でも癒やす、励ますのもまた言葉なんだと思う。
便覧に載っている四字熟語、慣用句やことわざをもっと知りたくて、辞書も買った。色んな言葉を検索し、日本語の豊かさや美しさも知った。
そして便覧は、言葉の伝え方を学ぶものでもある。レポート、感想文、文章の書き方、小論文、手紙の書き方もある。
今はすぐに誰でも、言葉を瞬時に発信できる。論文や手紙みたいに考える時間が少ないため、喜怒哀楽もすぐに出てしまう。そのため、言葉に配慮がない時もあるから、争いや誤解が増えてしまうのかもしれない。
だからこそ、私は言葉を丁寧に扱いたい。言葉を通して自分の気持ちも大事にしたい。
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