ネットで愚痴を書きたい時、思い出す言葉。
「本人に言えないことは、言わない。ネットにも書かない。」
旦那さんに教えてもらった。
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「共感されるための悪口」に違和感
ネットで誰かの愚痴を見たらモヤモヤする。本人が見ていないのを良いことに、本人に直接言えないような言葉がズラリ。
家族に対しては特に、辛辣な内容を書く人もいる。私が違和感を覚えるのは、「共感してもらいたいから、相手の悪いところだけを切り取っている」ような投稿のこと。
悲しいのは、大人がそれをしていること。それなりに経験を積んでいるから、もっと落ち着いた方法を知っているように思った。でも、感情のコントロールや発散方法を他に知らないまま、苦しんでいるように見える。
もちろん、年代や性別に関係なく、誰かを意図的に傷つけるのは良くない。
フォローした人・してくれている人の中で、愚痴をよく書く人を見ると身構えてしまう。一部の人に限った話だけど、「私も裏で何か言われてるんじゃないか」と警戒してしまう。
私の思い込みかもしれない。でも、そう感じてしまう時がある。
悪口は、いつか本人に届く
愚痴を書いて、気持ちが軽くなることもある。誰にも聞いてもらえないとき、苦しいとき、ネットの向こうに寄り添ってくれる人がいると安心するのもわかる。見ず知らずの人だから、言いやすいこともある。
でも私は、悪口はいつか本人に届くと思っている。
カナダで英語がわからなかったときも、人が「私の悪口を言っている」空気は伝わった。
明らかな悪意は、言葉以上に記憶に残る。
ネットなら誰かが伝えるかもしれないし、何かの拍子に自分の投稿が見つかるかもしれない。
それは、直接言われるよりも何倍も傷つく。最悪の場合、関係が終わることもある。
「本人に言えないことは、言わない。ネットにも書かない。」
だから私はこの言葉を、大事にしている。
別の発散方法と身近な人の存在
ネットに悪口を書きたくなる時に必要なのは、「それはちょっと違うかもよ?」と率直に伝えてくれる人。友人や家族など、身近な人に言ってもらうことが大切。
私も20代の頃、SNSに愚痴を書いた。感情のまま書き殴った。その時、友人から「いい気がしない」と言われた。最初は口出ししないでと思ったけれど、今はその言葉に感謝している。
誰にでも見られる場所で、感情的な愚痴を吐き出して自分がどう見えるか。相手がどう感じるかを考え始めた。
今は、どうしても気持ちが整理できないときは、紙に書きなぐったり、AIに愚痴ったり。
次第に落ち着いてきて、怒りや悲しみの裏にある、本当の気持ちがわかる。
「わかってほしかった」
「寂しかった」
それを自分の中でちゃんと受け止めてから、本人に話してみる。
人に対して湧いてくる不満や苛立ちって、実は自分の中にある嫌な気持ちの“映し鏡”かもしれない。それを見つめるのは簡単じゃないし、しんどいことも多い。
だからつい、誰かのせいにしたくなる。でも、自分の機嫌は自分で取らなきゃいけない。
「ここだけの話」、SNSには存在しない
ネットに気持ちを吐き出すことは悪くない。言い方を考える必要がある。
デジタルタトゥーという言葉もあるほどだ。「ここだけの話」なんて、SNSには存在しない。
正論もアドバイスもほしくない。別に解決も望まないから、ネットに書くのかもしれない。ネットの人は肯定してくれるかもしれない。
でも耳の痛いことを真摯に伝えてくれる人こそが、“自分を大切にしてくれる人”なんだと、私は思う。
さいご:本人に読まれても大丈夫か?
自分を守るためにも、一度立ち止まって考えたい。
「これは、本人に読まれても大丈夫か?」
私はいつもそう問いかけながら、自分の中の弱さとも向き合いたい。そうすれば伝えるべき思いが見つかる。
ちゃんと考えた言葉は自分の心を養い、大事な人との関係も育めるはず。
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