カナダ・ウィニペグ美術館で石を見て、『いただきます』を考える【感想編】

2025/10/20

日常

先日、カナダのウィニペグ美術館で見たイヌイットアートの写真集を投稿した。今日は感想編を書いてみる。私はその日、いつも以上に「いただきます」を心を込めて言った。

掃除、大変そう

イヌイットアートは骨と石で作られていて神秘的だ。でも最初に思ったのが、「掃除が大変そう」だった。

デコボコや隙間がたくさんあるから、家に飾ったら埃がよく溜まりそう。隙間は歯ブラシかな。はたきで優しく払う?この美術館でも、誰かが丁寧に掃除しているんだろうな。

そんなことを考えながら作品をじっと見ているうちに、ふと疑問が湧いた。石や骨は硬いのに、どうやってこんな滑らかそうにしているのだろう?

石なのに、なぜ滑らかそうなの?


Chat GPTで調べてみると、イヌイットがよく使うのはソープストーン(滑石)と呼ばれる柔らかい石。触ると少し油っぽくて、ナイフでも削れるくらい柔らかいらしい。

おもしろいのは、完全な設計図はないとのこと。石の形や割れ目、重さを見ながら、そこに隠れている動物や精霊を“掘り出す”ように作ること。

使う道具は鉄のノミ、金ヤスリ、サンドペーパー。仕上げには布やワックスを使い、磨くことで石の模様や艶が際立ち、まるで命が宿ったような質感になる。

『ゴールデンカムイ』と通じるものがある


イヌイットアートは、石・骨・牙などの自然素材を用いて動物や精霊、生と死、変身や伝説をモチーフに彫刻をつくることが多い。

アイヌ民族の文化とも通じるものがある。

『ゴールデンカムイ』でも見たけれど、自然と近いところで暮らす人たちは、あらゆる命の循環を日々の暮らしの中で実感しているのだろう。だから、肉も毛皮も骨も、余すことなく使う。それは、命をいただいた生き物への敬意の表れだと思う。

八百万の神様はもう日本にいないかも


日本で言えば、「八百万の神様」という考え方が近い。

山にも川にも、石にも道具にも神が宿る。けれど今の日本には、そうした神様たちが寄りつきにくくなっている気もする。

食べ物やものの大量生産・大量廃棄が当たり前になり、異常気象で自然の恵みも減っているからだ。

どこかで、命を「実感する機会」を失いかけているのかもしれない。

「当たり前」こそ「特別」なのかも


私はものを捨てるときは「ありがとう」と言い、破れた服や靴下は縫って使ったり、着なくなった服はウェスや、他のものに作り変えたりする。

家でもレストランでも、ちゃんと手を合わせて「いただきます」を言う。食べることも、命をいただくのも決して当たり前ではない。

今のご時勢を見ていると、また世界大戦になるかもしれない。そうじゃなくても、自分の健康がいつどうなるかもわからない。食べられるうちに、美味しく体に良いものを食べて、食の楽しさを感じていたい。

イヌイットアートを見た日は、ご飯を食べるときにいつもよりその気持ちが強くなった。

八百万の神様は、ものを大事にする人の心にちゃんと生きると思った。

🌻関連記事

QooQ