家族は、自分で選べる

2025/10/14

エッセイ バッタモン家族

「家族って何やろ?」

子供の時からずっと考えていたことだ。

血の繋がりがあって、無条件で子供を愛す親がいて、笑顔が絶えない家庭が「家族」だと思っていた。

我が家は、お隣にまで響き渡りそうな両親の怒号が聞こえた。父は継母を殴る。私は、泣きわめく幼い弟と妹を抱っこして、2階に避難する。それが日常だった。

血の繋がりほど大事なものはなくて、どんなに酷いことをされても親を思うのが子供だ、と言い聞かせられた。私が悪いことをしてなくても、両親が怒るのは私のせいなんだと、理解してきた。

でも旦那さんのお母さんの言葉で、「家族」のあり方が分かった気がする。

私は旦那さんと一緒にカナダに住んでいる。ある時、私だけで日本に帰らないといけなかった。でも私には実家がないし、親や兄弟とも絶縁状態。

そこで、旦那さんの両親の家に泊めてもらえることになった。

結婚前に家族のことを話していたから、両親も事情は知っている。結婚の報告より、自分の家族の話を打ち明けるほうが緊張した。

お義母さんは、明るくて楽しい人。お義父さんは、怒る顔が想像できないほど穏やかな人。私が継母に絶縁された時、お義母さんに言われた言葉が忘れられない。

「うちの子なったらええねん。うちが実家やと思って、いつでも帰ってきたらええ!」

一瞬その言葉が理解できなかった。「息子が厄介な嫁をもらって困る」顔をされると思っていたからだ。

義両親は、私を居酒屋に連れて行ってくれた。

「辛い時はいっぱい食べっ!」

お義母さんは、唐揚げを私のお皿に山盛り入れてきた。私は温かいものがこみ上げ、唐揚げを口いっぱいに頬張った。お義父さんは、ニコニコしていた。

旦那さんは仏陀だと思っていたが、義両親は菩薩だった!継母に捨てられた私は、義母に拾われたんだ。

その言葉に甘えて、帰国する度お世話になっている。いつも変わらず、両親は訪問を喜んでくれる。

お義母さんとは一緒にミスドに行ったり、お買い物に出かけたりした。彼女はいろんな人に、私を「娘です。可愛らしいやろ〜」と紹介してくれた。その言葉に誇らしさのようなものを感じ、私は心がくすぐったくなった。

まだまだこんな日々が続くと思っていたのに、お義母さんは亡くなってしまった。でも、短い期間に一緒にしたこと、話したことは無くならない。

旦那さんの両親と関わって見えてきたのは、「家族だ」と実感できる気持ちが、血の繋がりのない人たちを家族にする。

いつの間にか私は、幼い頃に望んでいたものを手にしていた。

親と離れることを選んだときから、何でも自分で自由に決められるようになった。だから「こういう人と家族になりたい」も選べたのだと思う。

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