言葉って、木なんだなと思う。
栄養を与え、時間をかけて根が張り、幹が太くなり、枝が伸びて言の葉になる。
それが語彙力や読解力、理解力になる。
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小さい木が私。大きい木が旦那さん |
言葉を話し始めたのは遅く、親に話を聞いてもらうこともなかった。
少しむずかしい言葉を聞くと頭が真っ白になる。
勉強も苦手で、意見を交わすのも怖いまま大人になった。
自分の思いや気持ちを、うまく言葉にできない。 焦ったり、苛立ったりして、涙が先に出る。
「言葉をサボらないで」
「自分の頭で考えて」
「主語と述語をしっかり言って」
旦那さんにいつも言われる、正しい言葉たち。けれど、まっすぐ受け止められない日もある。
理路整然と話す彼と違って、私は脈絡のない話、オチのない話をしながら、私の考えや気持ちの「芽」を見つけていく。
だから毎回必ず、結論と理由を決めてから声を発するのはストレスになる。
「自分はダメな奴。」
今まではそう思ったけど、木の大きさが違うんだからできることも違う。
旦那さんは、子どもの頃から言葉の木を少しずつ育ててきた人だ。 私はダメではなく、まだ成長途中。
言葉を育てようと思ったのは、6年前。
まだ幹が細く、根も浅い。 木が立派になるには何十年もかかるものだ。そう思うと、少し楽になる。私が泣いている分も、悔しかった分も、全部が栄養だ。
だけど、悔しさはどうしようもない。
算数も苦手、理路整然と話せない、英語にもつまずく。 自分の未熟さに腹が立ち、優しい旦那さんに八つ当たりしてしまう。
算数や辞書のテキストを枕にしたら、翌朝できてたらいいのにって思う。
でも、価値のあるものこそ、時間と手間がかかる。
「めんどくさい」気持ちといっしょに、私は今日も少しずつ、言葉の根を伸ばしている。
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