言葉は木。人と比べず、ゆっくり育てる

2025/10/16

エッセイ

言葉って、木なんだなと思う。 

栄養を与え、時間をかけて根が張り、幹が太くなり、枝が伸びて言の葉になる。

それが語彙力や読解力、理解力になる。

小さい木が私。大きい木が旦那さん
私は旦那さんに出会うまで、日当たりの悪い場所で、誰にも水をもらえずに育った木のようだった。

言葉を話し始めたのは遅く、親に話を聞いてもらうこともなかった。 少しむずかしい言葉を聞くと頭が真っ白になる。

勉強も苦手で、意見を交わすのも怖いまま大人になった。

自分の思いや気持ちを、うまく言葉にできない。 焦ったり、苛立ったりして、涙が先に出る。

「言葉をサボらないで」 
「自分の頭で考えて」
 「主語と述語をしっかり言って」 

旦那さんにいつも言われる、正しい言葉たち。けれど、まっすぐ受け止められない日もある。

理路整然と話す彼と違って、私は脈絡のない話、オチのない話をしながら、私の考えや気持ちの「芽」を見つけていく。

だから毎回必ず、結論と理由を決めてから声を発するのはストレスになる。

「自分はダメな奴。」

今まではそう思ったけど、木の大きさが違うんだからできることも違う。

旦那さんは、子どもの頃から言葉の木を少しずつ育ててきた人だ。 私はダメではなく、まだ成長途中。

言葉を育てようと思ったのは、6年前。

まだ幹が細く、根も浅い。 木が立派になるには何十年もかかるものだ。そう思うと、少し楽になる。私が泣いている分も、悔しかった分も、全部が栄養だ。

だけど、悔しさはどうしようもない。 

算数も苦手、理路整然と話せない、英語にもつまずく。 自分の未熟さに腹が立ち、優しい旦那さんに八つ当たりしてしまう。

算数や辞書のテキストを枕にしたら、翌朝できてたらいいのにって思う。

でも、価値のあるものこそ、時間と手間がかかる。

「めんどくさい」気持ちといっしょに、私は今日も少しずつ、言葉の根を伸ばしている。

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