災害報道に期待すること、私にできるのは知ること

2026/08/02

エッセイ

ここ数日、熊本地震の記事を色々読んでいる。

そこには、「足りてない」「関連死」「10年前と状況が変わっていない」といった、不安な感情を残す内容が多いように感じる。

「物資を送った」という朗報を見ても、次には「物資が届かない」というニュースが出てくる。

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「10年前と被災地の状況が変わっていない」と書くなら、報道も変わることを期待したい。

もちろん、現在の被災状況を伝えること、そこにいる人たちの気持ちを報道するのも大切なことだ。

だけど私は、その先も知りたい。

  • なぜ同じ問題が繰り返されるのか。
  • どうすれば改善できそうなのか。

完璧な答えはないかもしれないが、「かわいそう」や「辛い」だけで終わらせてほしくない。

例えば、地震が多い他国ではどのような対応や政策が行われているのか。そちらにも目を向けた報道もしてほしい。

他国の事例を知ることで、日本の課題や改善できる部分も見えてくるように思う。

2024年に起きた台湾東部沖地震では、発生からわずか3時間で避難所が設置された。

そこでは個室テントが用意され、被災した人たちがプライバシーを守りながら過ごせる環境が整えられていた。

この迅速な対応ができた理由は、災害が起きてから準備を始めたからではない。

政府や自治体、民間団体が普段から連携し、訓練や物資の準備を続けていたからだ。

発災後わずか3時間で避難所を設置 台湾の迅速な災害対応の秘密を探る

日本は地震が多い国だ。過去に大きな地震が何度も起きて、被害が甚大だった。それにも関わらず、能登の復興もまだ充分とは言えない状況だ。

災害報道は大きな地震が起きるたびに、被災地の名前と状況は変わるけれど、内容はどれも似通っている印象がある。

海外の災害対策を報じたり、物資支援や募金情報などを拡散したりしてほしい。

私は、「自分たちで復興を頑張るしかない」という空気にも違和感がある。被災した人たちだけで頑張ることが「復興」ではない。

個人や団体にできることには限りがある。

こういう時こそ、国や行政の役割が重要になってくるのではないか。

政府が人員をすぐ確保すること、被災した人たちが安全に過ごせる場所を整えること、必要な物資をすぐに届けることを日頃から整えておく必要があると思う。

災害そのものは、どうしようもできない。どこの国に住んでいても起こる。それがいつ、どこに来るのか予想がつかない。

そんな中で、私個人にできることは、まず「知ること」だ。

SNSでは、安全なオンラインサイトから募金できる場所を共有されている。

いろんな人の「募金しました」という投稿を見て、「自分もやってみようかな」と行動する人が増えている。小さな支援の輪が広がっているのが見える。

Xではフェイクニュースが広がっていて、どれを信じていいのか分からないという投稿を見た。

だから私は新聞社、行政の公式サイトなどの信頼できる情報源から被災地の状況を知るようにしている。

新聞社や公式サイトも間違うことはある。だけど、編集や確認の仕組みがある報道機関から情報を得ることは安心できる。

これら以外にもすでに行動をしている人が多くいると思う。長い時間がかかっても、災害報道や支援の在り方も変わっていくことを期待したい。

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