夢中って、何だろう?
今の時代は、何かに夢中になることを「推し活」とも呼ぶ。
SNSを常に追いかけ、グッズは全部買う。イベントやコンサートも必ずいく。とにかく、推しにお金と時間を割くことに生きがいを感じる人もいるらしい。
その人たちの「夢中」は、打ち上げ花火みたいだ。ドドーン!と大きな花火をいくつも打ち上げていく。その熱は、周りの人にも影響を与えていく。花火は遠くからでも分かるし、人が集まるし、歓声もあがる。
正直、楽しそうで羨ましい。そもそも私は、何かに熱狂的になることがない。好きなものはたくさんある。古典、たまごっち、アニメ、編み物、読書や文章を書くこと。
でも四六時中、そのことだけを考えているわけではないし、寝食を忘れて没頭しない。グッズを買い揃えることもないし、イベントにも行かない。
とすると、それは好きと呼べないのではないか。「常に」時間を忘れて没頭することが、「夢中」だと思い込んでいたからだ。
よく考えると、私の「夢中」は、焚き火みたいだ。静かに、ゆっくりと、パチパチ燃える。最初、これが嫌だった。花火に比べると地味だから。私も誰かと熱く語り合いたい。でも、「やばい」「好き」だけで終わるのではなく、冷静な考察や意見交換がしたい。
周りではいつも大きな花火があがり、みんなの拍手や歓声が聞こえる。焚き火なんか止めて、こだわりも捨てて、花火組に参加しようかとも考えた。
でも焚き火を消してしまったら、自分がコツコツ楽しんだ時間もなかったことになる気がする。
古典に励まされたこと、たまごっちを育てて「かわいい」と思う気持ち、編み物を丁寧にやった自分の頑張り。それを無駄なことにしては、自分と好きなものに失礼だ。
焚き火の良いところは、長く、静かに燃え続けられるところだ。これが私には合っている。
私は、お気に入りの作品は繰り返し観る・読む。大好きなゲームは飽きずにずっとできる。毎回発見や学びがある。
忙しい時は全く手を付けないこともある。「飽きた」のではなく、火が少し小さくなるのだ。離れていても、いつも頭の片隅に存在している。
私の好きは、ずっとこんな感じだ。
好きなことを自分の心地いいペースで楽しむことが、「夢中」だと思う。
私の夢中は、世界で自分しかそれを好きじゃなくなっても、楽しめること。ひとりで、コツコツ続けていくこと。
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