アニメ『平家物語』の余白が語るもの

2025/08/13

エッセイ

情景、季節、目、仕草。

それらは、言葉にしない気持ちを語ることもできる。アニメ『平家物語』3回目の視聴で、目を離し、耳で見て気がついた。

※この記事は、ネタバレありです。

生活音の存在感

今回一番印象に残ったのは、生活音の存在感だ。

木がきしむ音、水のせせらぎ、鎧の軋み、足音、風、衣擦れ、手のひらの上でサイコロを転がす音。

それらはただの背景ではなく、登場人物の感情や場面の空気を表す演出そのものだった。

例えば足音。女性は足音をほとんど立てず、衣擦れがかすかに聞こえる。

男性は、足音で性格まで想像できる。清盛はドシドシと威圧的に、重盛はトントンと軽やか。

雪と桜が刻む時間

時間の移り変わりは、雪、桜、落ち葉で表現される。四季折々の花たちが画面を彩り、日本の美しさを改めて感じる。

時間でいうと、びわは体が全然成長しない。でも、偉い人に頭を下げ、目上の人への乱暴さが減った。小さな礼儀や所作の変化で、成長を描いている。

「余白」が生む、想像力

カメラワークも見応えがある。人物を画面の左右に置き、部屋や景色が広く映す。そこにセリフがなくても、登場人物の気持ちが伝わってくる。

余白が多いからこそ、観る側の想像力も広がっていく。きっとこの物語は、観る人によって感じ方は全く違うと思う。きっと私が4回目観ても、また違うものが見えるかもしれない。

目は口ほどにものを言う

アニメ『平家物語』は、目のアップが多い。例えば、怖がりで優しい維盛が初陣を迎えた場面。

暗闇の中で片目だけがギョロギョロと動き、涙を流す。荒い息遣いが響き、戦の恐ろしさが伝わる。言葉よりも、その目が彼の心とこれからを物語る。

微笑み一つで、印象が変わる

仕草もまた、強い印象を残す。私がグッと来たのは、白拍子の祇王が清盛に見限られ、新しい白拍子・仏御前の話し相手にされる場面。

祇王の口元だけ写り、彼女は仏御前に微笑む。仏御前もホッとするような微笑みを返す。それだけのシーンなのに、立場を追われた者と奪った者の複雑な感情が垣間見える。

また、重盛の子の清経の最期も印象的だ。清経は、笛を吹くのが好きな心の優しい子だ。だけど、絶望の末に入水する。夜の船の上。笛を吹き終え、笛を持った彼の腕がダランと垂れて、そのまま海へ。

この一連のシーンは彼の後ろ姿のみ。背中から絶望、諦観が伝わる。海に沈む瞬間、彼は微笑んでいた。彼が何を思ったのかは、観る人の想像に委ねられる。

「語らない」美しさ

全体を通して、セリフはそこまで多くないように思う。でもこの時代の話だからこそ、それが似合う。

平家といえど、女性や下の立場の者は、不満も文句も聞き入れてもらえない。諦めを抱えている。

だからこそ、「いざ」という時には自分の命をかけて放たれる言葉が、より重く、美しく、心に響いてくる。

花びら一枚で諸行無常を描く

打ち首の場面では、赤い花を切って落とす。直接見せるよりも残酷で、儚さを際立たせる。

華やかに咲き誇っても、花びらが散るのはあっけない。人の命も似ていると言われているようだ。

カメラワーク、情景、音楽。すべてが雅で、儚く、力強く、諸行無常を描いている。

さいご

アニメ『平家物語』は、決して派手ではない。けれど繊細で、優美で、儚く、危うい。初めてレビューを書いた時には、言葉にできなかったことを今回はしっかり書けた。

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