映画『鬼滅の刃 無限城』もったいない理由を正直にレビュー

2025/09/29

日常

※一部、伏せ字にしてますが、物語の核心に触れるネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

映画『鬼滅の刃 無限城編 猗窩座再来』をカナダで観た。感想を先に言うと、いい作品なのにもったいないだった。

映像や戦闘シーンは迫力満点で、映画館で観る価値はあった。とくに猗窩座の過去は悲しくて、胸に響いた。

それなのに、手放しで「おもしろかった」とは言えない。とにかく情報を詰め込みすぎて、どこを切り取って感想を言えばいいのか分からなくなってしまったからだと思う。

情報が多い

今回の映画のサブタイトルは『猗窩座の再来』だから、猗窩座だけに集中した物語でも良かったように思う。原作に忠実に再現するのもいいけれど、もう少し物語を上手にまとめてほしかった。

無限城は登場人物が多い。産屋敷家、柱たち、炭治郎たち、鬼殺隊、上弦の鬼たち。映画一本に、上弦の鬼たちの出現、主人公たちの戦い、過去を詰め込めば、観る側の気持ちと頭の整理が追いつかない。

ファンの私のワガママとしては、映画化にするなら『猗窩座編』、『童磨編』、『黒死牟編』、『無惨編』とそのキャラたちだけに集中したお話構成が良かったように思う。

もしくは、『無惨編』だけを映画にして、あとは今まで通りアニメシリーズにしたほうが、物語としても感情としても深く味わえるのではないかと思う。

余韻に浸らせて

猗窩座の過去だけで40分もあるそうだ。彼との戦闘と過去の話で、映画一本が成立したはずだ。

けれど同時に、上弦の鬼・童磨の登場や〇〇さんの死、さらに柱や鬼殺隊の戦いが次々と挟まれ、感情をどこに置けばいいのか迷子になったのだ。

前作の映画『無限列車』の煉獄さんの時のように心を預ける余地がなかったため、今回の〇〇さんの死さえも印象が薄れてしまった。あの人は最初からいて人気なキャラのはずだし、もっと余韻に浸る時間がほしかった。

猗窩座の過去から無限城に話が戻った時、いきなり童磨が再登場。せっかく物語に没頭していたのに、「童磨はどうなってったけ?」と頭をまた切り替えないといけなかった。

モノローグが多い!

炭治郎のモノローグの多さも気になった。「まだ死なない」「考えろ」など一つひとつ説明してくれるが、かえってテンポを削いでしまう。

見たら分かることまで説明してくれるため、現実に引き戻されてしまうのだ。炭治郎お父さんが作中で言っていた、「無駄を削ぎ落とす」とは真逆の印象だった。

盛りだくさん=満足ではない

私は原作を読んだから流れは理解できるけれど、読んでいない人には中途半端な終わり方に見えるだろう。次の公開まで何年も待たされれば、熱量も記憶も薄れてしまいそう。

今回思ったのは、「盛りだくさん=満足」ではない。見どころは多くておもしろかった。でも、盛りだくさんなだけに、心に残る余韻がもっと欲しかった。

トイレ対策

映画の放映時間は長い。私はトイレが近いほうだけど、全然行かなくても大丈夫だった。ただし水分は減らしていたし、冷えるのを見越してパーカーを持ち込むくらいの準備は必要だった。

さいご

映像も戦闘も確かに圧巻だった。けれどもう少し物語にまとまりがあれば、胸に残る体験になったはず。そう思うからこそ「もったいない」という感想に落ち着いた。

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