朝日新聞の記事「小学校の開門を7時に、教員『子どもを守れない』と反発 群馬・高崎」を読んだ。
※記事は、2025年10月1日 17時16分まで無料で読めます。
私は、小学校の開門を早める案に、そのまま賛成できない。
本来、教師の役割は「子どもの学びを支えること」だ。早朝から子どもの安全を担わせるのは難しいと思う。
教師にも家族がいる。長時間拘束をすれば、その家族にも負担がかかるし、教師の心身が持たないのではないか。
そうなると、教育活動にも影響する気がする。学校を「便利に使える場所」とする発想は、教育の本質をゆがめてしまうように思う。
必要なのは、「有償」の見守り員の配置だと思った。
地域の高齢者や、時間に余裕のある大人が担うのはどうだろうか。さらに、性犯罪歴の確認や男女混合の複数体制など、子供と保護者が安心できる条件を整えること。
そのうえで、必ず報酬が伴う仕組みにすることが重要だと思う。無償だと、「使い捨て」のような扱いになってしまうから。
こうした安全対策や人員配置は、どうしても予算不足を理由に後回しにされがちだ。けれど、子どもの安全に関わる部分こそ優先されるべき。
市や学校の上層部だけで決めるのではなく、現場の教師や保護者、子ども自身の声を含めて制度を考える必要がある。
できないことは「できない」と言える環境も必要と感じた。
教師は「教育」以外の仕事も多く抱えている分、生徒ひとりひとりに目を配りにくくなっているのではないか。子どもに安心を与えることも難しくなっているのかもしれない。
そして、保護者自身も働き方や生活の在り方を考える機会になればいいな。職場への不満を声にし、働き方の改善を求め、人や制度に頼ることも大切だ。
それぞれができないことをはっきり言葉にし、受け入れること。
仕事のために家族や自分を犠牲にするのではなく、健全な暮らしの循環をつくることが、結局は子どもの安心や幸せにつながる。
「どうせ無理」と言うのは簡単。でもそれらを大人が積み重ねてきた結果、学校が安全じゃなくなっている。
この問題は、学校だけの課題ではないと思う。
家庭・地域・社会全体で考え、行動すべきことだと感じた。
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