引っ越したばかりの部屋が、自分の部屋らしくなっていくように、記事が積み重なることが嬉しい。
そして思うのは、自分に制限をかけなくなってから、楽しくのびのびと文章が書けるようになったことだ。
Xとnoteから距離を置いた
2016年〜2018年までブログ。そこから2024年10月まではnoteで書いた。そして、去年の終わりからまたブログを再開。
その理由は、SNSやnoteでは「何者かにならなければいけない空気」が強くて疲れてしまったからだ。
Xのインプレや不確かな投稿、インスタのキラキラ競争、noteの似通った文章やお金稼ぎの空気。どれも自分には合わず、アカウントを消した。noteもゆくゆく消すつもりだ。もともと欲の多い人や場所は苦手だから、離れて良かった。
だから、このブログを始めるときに決めたのは「私自身が」楽しんで書くこと。
今の私にはブログが合う
今は文章を書く場所と交流する場所が、ネット上にたくさんある。
ブログは、誰も読まないのが普通。
そう思ったら肩の荷が降りた。誰かと競うことも、媚を売る必要もない。孤独になるのかと思ったけれど、むしろ逆だった。
「こうしなきゃいけない」がなくなり、「私はどうしたいか」を考えるようになった。
読まれない、が前提なら自分が楽しくないと続かない。だから更新はマイペース。期間を空けすぎるとハードルが上がるから、週2〜3回は書くようにしている。
このペースが自分にとって無理なく、記事の質を落とすことなく、楽しく続けられると分かった。読書やゲームなどの他の趣味にあてる時間も確保できている。
制限をやめたら、書くのが楽しくなった
誰の目も気にしなくていいから、書く前から「これはダメ」「これはウケそう」と選別しなくなった。
もちろん人前に出す以上、個人情報や言葉には気をつけるけれど、意見はしっかり書こうと思える。しっくりこない文章は、時間を置いたり書き直したりして出す。
自分に制限をかけなくなったから、書くことが楽しくなった。
「何者」かより「ひとりの人」
noteで書き続けたら、誰かにチヤホヤされるかもと思った。でも私は、何者にもなれない。そもそも何になりたいかも分からないのに、何者かになれるはずがない。
だから、私は私でいい。日々の生活の中で「楽しいな」「嬉しいな」「嫌だな」と感じた小さなことを、ひとりの人間として書き残していけばいいのだと思う。
一番の読者は自分
定期的に読んでくれる人が、ひとりでもいれば嬉しい。旦那さんはじっくり読んで、感想をくれることもありがたい。
でも、一番の読者は私自身。未来と今の自分が、何度も読み返すはずだから、嘘をつかず、恥じない文章を残していきたい。
さいご
「自分が楽しんで書く」。その前提は、しっかり満たせている。あとはもう少しだけ、更新のペースを上げていきたいな。
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