カナダで暮らしていると、人種や言葉が違っても「通じ合える」瞬間がある。
ハンバーガーの香りが漂うファストフード店で、ある親子と出会った。
お父さんと小学校低学年くらいの女の子と男の子。姉弟は『鬼滅の刃』のTシャツを着て、手には炭治郎のぬいぐるみ、背中には禰豆子のリュック。聞かなくても、鬼滅が大好きなのが伝わってくる。
英語圏でも、日本のアニメは大人気!私が鬼滅を描いたわけではないけど、誇らしい気持ちになる。
私の旦那さんが、鬼滅のTシャツいいねと英語で話しかけた。続いて、「僕らは日本人だよ」と伝えると、女の子は炭治郎のぬいぐるみを見せてくれた。炭治郎の顔は、サインペンで線がいっぱい描かれていた。それだけいつも、彼女の隣にいるのだろうか。
姉弟のお父さんは朗らかで、人懐っこい笑顔を浮かべている。親子は、『鬼滅の刃』の映画を観に行く予定だったけれど、人気でチケットが取れず、夜遅い回に変更になったと話す。それでも、「楽しみなんだ」と伝わってきて、こちらまで気持ちが明るくなった。
私たちがオーダーを待つ間、親子は席に着いた。すると、女の子がリュックを開けて、「見て!禰豆子もいるんだよ」とぬいぐるみを私たちに見せてくれた。
何とも無邪気で、可愛らしい。自然と頬がゆるんだ。
私たちはオーダーしたものを持ち帰る。帰り際に、その親子の前を通った。男の子が、ふいに小さな声でなにかを言った。
聞き取れず、旦那さんが「ん?」と聞き返す。男の子は、はにかみながらもう一度。
「よい一日を」
日本語だった。
旦那さんが英語で「すごいね!」と褒めて、私は日本語で「良い一日を」と返した。
きっとお父さんが日本語を調べて、子どもたちに教えてくれたのだろう。子どもが好きなものを大切にして、その延長で異国の言葉まで体験させている。お父さんの笑顔がまぶしく見えた。
あの子が言ってくれた「良い一日を」は、そのまま私の一日を良くしてくれた。
そして思う。
世界はしばしば「分ける」ことに熱心だ。国籍や人種や言葉の違いを境界線にして、排除しようとする人もいる。
でも、子どもの小さな日本語ひとつで、心の距離が手を繋げる位置になった気がした。
こんな瞬間がたくさん積み重なることで、無知の溝を少しずつ埋めていくのだと思う。
あの姉弟が「分断の鬼」に負けないよう、炭治郎と禰津子のように強い信頼関係で成長することを願う。
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