ドラマ『不適切にもほどがある!』を見て、多様性やハラスメントの違和感を考えた。
考えてみると、多様性ってアイスクリームみたいなもの。それぞれの好みを自由に楽しんで、認めあえればいいのに、と思った。
※本編の内容に触れていますが、重要なネタバレは避けています。
あらすじ
昭和の体育教師・小川市郎(阿部サダヲ)が、1986年から2024年にタイムスリップ。小川は、「セクハラ」「パワハラ」とされる発言や行動を連発。
過去と今の常識の違いがぶつかり合う中で、家族や同僚、令和の人たちと「多様性」「不適切とは何か」を笑いと共に問いかける物語。
みんな、がむしゃらに生きている
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画像:unsplash |
単純に「令和VS昭和」の対立を描いているわけではない。どの時代にも大変さと良さがあって、その中で人はがむしゃらに生きている。私はそう受け取った。
主人公の言動は、今の時代ならさまざまなハラスメントにあたるだろう。それでも彼には思いやりや素直さがあって、ただの頑固なダメおやじじゃない。
令和の人たちの考え方と昭和の価値観の間を行き来しながら、彼自身も成長していく。その姿は人間味があるし、特に娘・純子のことになると冷静ではいられないところが魅力的だ。
多様性はアイスクリームのように
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私は、多様性をアイスクリームに例えて考える。
アイス屋さんには、食べきれないほどの種類がある。ミントが好きな人もいれば、チョコチップが好きな人もいる。甘いもの自体が苦手な人もいるだろう。
アイスなら「あなたはそれが好きなんだね。それもいいね」で済むのに、多様性になると「あっち側の人間は許せない」と言う人が出てくる。
つまり多様性は、好き勝手に文句を言うことでも、相手を沈黙させることでもない。
自分の選んだ味を楽しみつつ、相手の好みも認め合うことだと思う。相容れないときは、攻撃するのではなくて、そっと距離を取る。
それが対話の第一歩であり、寛容だと思う。
モヤっとしたところ
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娘を大事にできる父親なら通じるかもしれないが、私自身は父親から嫌なことをされ続けた経験がある。
そういう人間は、娘とか関係なく、誰に対しても同じように嫌なことをする。結局は、性根の問題だ。だから大事なのは、モラルと性教育の徹底だと感じた。
褒めればセクハラ、指摘すればパワハラ
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私はカナダに住んでいる。もし日本の基準をそのまま持ち込んだら、カナダの男性はみんなセクハラになってしまう。
カナダでは見知らぬ男性から、「素敵だね」や「美しい」と言われることがある。でも彼らは天気の話みたいに軽い調子で言うから、私は嫌な気持ちになったことはない。
褒めることがすべて悪ではない。セクハラかどうかは、言われた側の感覚や、言い方によって大きく変わるのだと思う。
褒めればセクハラ、指摘すればパワハラ。どうすりゃいいの?
自然な行動もセクハラ?
さらに「露出した女性の体に目が行ったらセクハラ」とされる場面には疑問があった。
私は同性でも、胸元や美脚に目がいってしまう。そう考えると、女性が男性の鍛えられた半裸を見て「かっこいい」と思うのも、セクハラになってしまうのでは?
老若男女問わず、肌の露出に目が行くのは自然なことだと思う。
問題は、いやらしい視線や言葉を投げかけること。そこを区別せずに、何でもセクハラにされたら、目隠しして過ごさなきゃいけなくなる。
「解決」ではなく「考える」
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ドラマの令和の登場人物たちも、口を開けば叩かれ、さらし者にされるから、みんな何も言えなくなって孤立していく。そんな空気に風穴を開ける存在が、昭和からやってきた小川だ。
彼の「何がいけないの?」という言葉は、令和を生きる人たちに考えるきっかけを与えてくれるし、私自身もそこから考えを深めることができた。
“多様性”という言葉を盾にする人に、小川がボソッと「きもちわり」と言うシーンには思わず笑ってしまった。嫌味さはなくストレートで、むしろ爽快さがあった。
私も同じ立場なら「めんどくせ」と言ってしまいそう。
さいご
この物語は「多様性」とは何かを考えさせると同時に、家族や職場など人との関わりを温かく描いたコメディだと思う。人間関係の大切さを感じさせてくれるドラマだった。
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