思うようにいかない日もある。そんな時、アニメのキャラたちの言葉に何度も救われてきた。
私の考え方に影響を与えたアニメ3作品を紹介。熱量多めです。
※致命的なオチは避けてますが、軽いネタバレもNGな方はページを戻ることをおすすめします。
モブサイコ100
全3シーズン/完結済み
あらすじ
主人公は中学生の影山茂夫(通称モブ)。超能力を持っているけど、冴えない日常を送っていた。そんな彼が仲間たちと共に、霊や悪と戦い成長していくアクション・コメディ。彼の感情が100%になった時、何かが起こる。
何者かになれなくても、良い奴にはなれる
序盤はギャグのノリが強く、正直「自分には合わないかも」と思いながら、5話くらいまでは惰性で観ていた。
でも、ある回を境に物語の色が変わった。ただの超能力バトルではない、もっと根深い人間の心の話になっていく。そこから私は、どんどん引き込まれていった。
最初に惹かれたのは、主人公モブの在り方だった。すごい力を持っているのに、“普通でありたい”と願う。自分の感情にすら戸惑い、周囲との関わり方も不器用だ。私は、モブと自分を重ねていた。私も勉強と運動が苦手、モブのような特別な個性もない。自分が何がしたいかも分からなかった。
でも観ていくうちに自分に近いのはモブよりも、彼の師匠・霊幻だったのかもしれない。
霊幻は口先だけでモブを導いているようなキャラクターだ。でも彼の言葉は、なぜか胸に刺さる。
「魅力の本質は人間味だ。良い奴になれ。以上!」
この言葉はシンプルだけど、案外むずかしい。
私も霊幻と同じで、昔から「何者かになりたい」と思っていた。
賞をもらえたら? フォロワーが何万人いたら? 承認欲求の塊のように、「数」や「評価」に振り回されていた。
でも、霊幻の『孤独なホワイティー』回を観て、私もきっと何者にもなれないと思った。追い求めても、虚しさだけが募るのかもしれない。
自分の持っているもので生きるしかない。だからこそ「良い奴になる」ことが、自分にできる最大のことなんだと思えた。
かっこ悪くて、情けなくて、それでも自分の弱さと向き合いながら進む姿が、私には何より尊く思える。この物語の一番好きなところだ。
例えば、モブは超能力を使わずに、肉体改造部で頑張っている。霊幻も劣等感に押し潰されそうになりながらも、自分の弱さを見つめる。テルくんも、自分が特別だと思い上がっていたけれど、モブと戦って、「自分は凡人」と気づいて変わっていく。
辛いことがあると、私の頭の中でキャラたちが喋り出す。モブの「大事なものは拾うんだ」とか、エクボの「もっと自信を持て、主役はお前だぜ」とか。自分に言われている気がして、もう一度踏ん張ろうと思える。
『モブサイコ100』は、私にとって“バイブル”だ。
Notionには名言をまとめたページがあって、文字を見るだけでキャラの声が脳内に再生される。
本編を何度も観返しているし、YouTubeでふと見つけた名言動画もNotionに保存して、定期的に再生する。
何者にもなれない。でも「良い奴」にはなれる。
僕のヒーローアカデミア
シーズン7放送/原作コミックは完結済み
あらすじ
超能力「個性」を持つ人々が、ヒーローを目指す世界。主人公・緑谷出久は、壮大な戦いを経験しながら、友情を育み自身の力を開花させていく。
「正義」とは何か?
『僕のヒーローアカデミア』は、私が初めて「アニメって面白い」と思った作品だ。
最初は、よくあるヒーローものかなと思った。でも進めていくうちに、ただの勧善懲悪じゃない、もっと複雑な「正義」と「悪」の境界が描かれているとわかった。
この作品に出てくる“敵(ヴィラン)”たちの多くは、幼少期の苦しみや、社会に受け入れてもらえなかった経験がある。もちろん、暴力や犯罪が許されるわけじゃない。でも、「敵にだって敵になった理由がある」という視点は、私にとって新鮮だった。
それは現実の世界でも同じなのかもしれない。人は環境や周囲との関係次第で、どちら側にも転ぶ。
悪に見える人にも、かつては夢や希望があったのかもしれない。ヒーロー側のも傷ついたり、悩んだりしながら、それぞれの正しさを選び続けている。
中でも印象的だったのが、かっちゃんの成長だ。かっちゃんは、最初は完璧で自信と過信に満ちた嫌なキャラだった。でもデクとぶつかり合う中で、自分の弱さや過去の行いを正面から見つめていく。
デクは個性がないなりに、機転とオタク知識を活かしていたのが良かった。でも物語が進み、かっちゃんのような“人間味のある成長”とは別の、王道ヒーローとしての道を歩み出した。そのぶん、少しだけ距離を感じるようになってしまった。
強さとは、圧倒的な力や人気を持つだけじゃない。間違いを認め、自分の弱さと向き合いながら、誰かを守ろうとする。それが、本当の強さかもしれないと思った。
私は、何でもできる人気者より、ちょっと頼りなくて不器用な主人公が好きだ。迷いながら、傷つきながら、それでも前に進もうとする姿に、自分を重ねてしまうのだと思う。
平家物語
全11話/完結済み
あらすじ
平氏に父親を殺されたびわが主人公。未来が見える彼女は、ひょんなことから平重盛家族に引き取られた。びわは平家の栄華と滅亡を見届ける。戦乱の世に翻弄された平家の人々の情緒と悲哀が描かれる。
「諸行無常」の美しさ
もともと平安時代と『平家物語』が好きな私にとって、このアニメは特別な意味を持っていた。
視聴する前から、『平家物語』の内容をある程度は知っていた。それでもこの作品は、完全に私の想像を超えていた。
未来を見る少女・びわと、亡者を見る平清盛の長男・重盛。どちらも、その力ゆえに孤独を抱えていた。
誰にも伝えられない未来、どうすることもできない死の予感。その無力さと切なさに、胸が詰まった。
視聴者である私たちも、びわと同じ立場になる。私たちは『平家物語』の結末を知っている。だからこそ、誰かの運命が変わってほしいと願ってしまう。それが届かないと分かっていても、どこかで祈ってしまう。
そんなやるせなさが、この作品にはずっと漂っている。
特に敦盛の最期は美しくて、苦しい。音楽、語り、色彩のすべてが、静かに胸を打ってくる。
他のシーンでも灯籠の揺れ、四季の移ろい、花のひとひら。その一つひとつが、“儚い命”の象徴のようだった。「雅(みやび)」という言葉が、これほど似合う作品を私は知らない。
物語の中で、平清盛の娘の徳子がこう語る。
「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ。望みすぎて不幸になった者達を多く見てまいりました。得たものの代わりに何を失ったかも分からず、ずっと欲に振り回され…。わたくしは、泥の中でも咲く花になりとうございます」
この言葉が、深く染みた。いい家柄に生まれても、望み通りに生きられるとは限らない。それぞれに、背負うものがあり、苦しみがある。
『平家物語』を観てから、私は「当たり前」の重みを感じる。
今ここにある暮らし、美味しい食べ物、大切な人たちとの時間。それらは決して保証されたものではない。
だからこそ、今を丁寧に過ごしたいと思うようになった。
先のことばかり心配していたけれど、まずは今日という一日を生きる。それができたら、もう充分なのかもしれない。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる者も久しからず ただ春の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ
学生の頃は覚えられなかったのに、今はもう何も見ずとも言えるようになってしまった。興味のパワーはすごい。
そして時代が変わっても、人の世は諸行無常。大人にこそ見てほしい作品だ。
さいご
私の祭壇(笑) |
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