「自分軸」。
よく聞くけど、私は違和感がある。「他人に流されず、自分の思いを大事にする」意味はイメージはできるけれど、その目指すものは、人によって違うと思うからだ。
私は「芯」という単語に置き換えてみた。
:
自分軸にこだわりすぎると、「私はこういう人間」だと枠を作ってしまいそう。その枠からはみ出さないよう必死になるかも。他人が作った言葉に振り回されては、「他人軸」で生きるのと同じになる。
言葉の皮肉さが気になってしまう。
私は、軸はブレるものだと思う。自分だけで生きることはできない。いろんな人から影響を受けるし、みんな支え合って生きているからだ。
それに、地球の軸だって傾いている。だから四季があり、植物が育ち、食料もあって、人間や動植物が生きやすいようになっている。
もし人の軸がブレなかったら、かえって不自然ではないだろうか。
便利な言葉には落とし穴がある。言葉の裏の意図を深く考えないと、自分の「幸せ」は遠くなる。
便利な言葉を、自分が安易に使うことに嫌悪感を覚える。
昔、引き寄せの法則にすがっていたからだ。幸せになるどころか、かえって自分を見失っていった。
「幸せ」や「成功」など、漠然とした言葉を信じた。お金や完璧な容姿、嫌なことのない毎日こそが幸せだと思い込んでいた。でも、私にとっての幸せではなかった。
だから「自分軸」を、「芯」という単語に置き換える。人はブレるものだけど、大事な部分だけは簡単に揺るがない。
それに、漢字も好きだ。草のように根強い心を持つ。「芯が強い」と「芯がある」と、しっかり地に足がついた印象に使われるのもいい。
自分がどうしても譲れないもの、大切にしたいものだけは守れるように「芯」を鍛えていく必要がある。
そのためには、自分自身が「したいこと/したくないこと」「許せること/許せないこと」を見つけるのが大切。
例えば、一緒にいたくない人といるのをやめる。思ってもいないことをしない、言わない。
勇気がいるけど、そんな小さな選択から、芯は育っていくんだと思う。
自分で考えた言葉と行動の中に、自分だけの幸せがある。それがわかると、行動も、選ぶ環境も、自然と変わっていく。
他の「違和感」について書きました。”ミニマリスト”も本来の意味から遠のいている。その違和感と、私の考え。
0 件のコメント:
コメントを投稿