「ミニマリスト」の違和感、私の考え

2025/06/11

考え

SNSでは「ミニマリスト」がトレンドのように扱われ、ただ物を減らすことや”映え”を追いかけることが目的になっているように見える。

今回は、私なりに「ミニマリストって、何なんだろう?」を考えてみたい。

ミニマリストって?

本当のミニマリズムは、生活をコンテンツ化せず、自分にとって大切なものを見極めて、心穏やかに暮らす工夫をすることだと思う。

一部のSNSやネット記事で、「ミニマリストな暮らし」が紹介されるたび、違和感を覚える。

たとえば、物を大量に手放した後、収納ケースやインテリア用品を購入する。「断捨離」したいのか「整頓」したいのか、よく分からない。

そもそもミニマリストとは、単に「ものを減らす」だけじゃなく、自分にとって価値のあるものを見極め、心地よい生活を追求する人のことだ。

だから、買い物も「便利そう」「おしゃれだから」でなく、本当に必要かどうかを吟味する。

でも現実は、魅力的な商品があふれ、巧みなマーケティングに心を動かされる。

「この商品があれば、もっと幸せになれます」なんて言われたら、つい手が伸びてしまいそう。

ものと一緒に、心まで手放してないか?

流行としてのミニマリズムは、その本質を深く考えることなく、「誰が一番多く物を捨てたか」を競い合っているようだ。

必要な生活用品まで手放す人にも、モヤモヤする。

私が目にした記事の中には、食器、キッチン用品、ベッド、机、椅子、そしてトイレブラシを手放した人もいる。

トイレブラシの代わりにクリーナーを買うのは、本末転倒ではないか?たかか数百円でも、積み重なれば大きな額だ。

ベッドを捨てた後に腰痛が悪化して、結局買い直したりする人もいた。

また、紙皿での食事は美味しそうに見えなかったし、調理器具をなくして電子レンジだけで済ませるのは、栄養バランスも心配になる。

こうした結果、出費や不便が増え、心が満たされなくなるのでは?

私たちは、食べて、寝て、排泄する。だから汚れるのは当たり前。

清潔にする道具まで捨てるのは、「人間らしい暮らし」から遠ざかっているようにも見える。

大切なものは、案外少ない

私はミニマリストと名乗るつもりはないけれど、自然と持ち物が減った。

前は、ストレス発散のように買い物をしていた。でも、ある事情でスーツケースひとつで故郷を離れることになった。命の危険が迫る中で、「本当に必要なものだけ」を選んだ。

その後はカナダに移り住み、日本に一時帰国したときのこと。大きなスーツケースに入っていたものの多くが、ただの”荷物”だった。

大切なものは、思っていたよりずっと少ない。あのとき実感した。

だからこそ、「ものを捨てて身軽になりました」と言いながら、“ミニマリストっぽい”何かを、次々に買い揃える人に違和感を覚える。

本当にしないといけないのは、「自分にとって何が大事か?」という問いなのに。

ミニマリストになる人へ

私の思うミニマリストは、ものを買うときにも何ヶ月も吟味し、着なくなった服をリメイクし、手元にあるもので工夫できる人。

もしかしたら、その暮らしは地味かもしれない。でも、自分にとっての幸せや豊かさが、ちゃんとそこにある気がする。

もし「ミニマリスト」を名乗るなら、信頼できる情報源から学び、よく考えてほしい。自己啓発本やSNSだけの知識で「なってみる」のは、もったいない。

「ミニマリストになる・やめる」

といったタイトルの記事も多く見かけるけど、そこに流行っぽさを感じる。本来のミニマリズムは、気がついたら「そうなっていた」のかも。

わざわざラベルを貼る必要も、卒業する必要もない。

大事なのは、自分の心が穏やかで幸せに暮らせること。その答えは、自分の心にしかない。

まとめ:映えではなく心の話

ミニマリズムは映えではなく、心のあり方。そしてその暮らしのかたちは、人の数だけあっていい。

「少ないこと」は、欠けていることではない。むしろ、本当に満たされているとき、私たちは多くを求めない。


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