SNSの政治の話:「文句の後」が大事

2025/10/21

エッセイ

SNSで政治の話をする人の投稿をいくつか見ていて気がついた。私にはそこまで政治の知識がないから、意見を持つ人はすごいなと思う。ただ、文句や愚痴で終わってしまう投稿も多いように見えた。

※私は日本に住んでいるわけではないから、分からないことも多い。でも、外から見て考えたことを共有したい。

日本では政治の話はタブーにされ、「怖い」や「意識高い」と思われることもあるらしい。それは、政治の文句だけを聞かされるからかもしれない。

人は関心のあることには饒舌になる。たくさん考えている証拠だから、文句や愚痴を言うのは問題ではない。

大事なのはそのあと。

「じゃあ、どうすれば良くなる?」を考えられたら、健全な対話につながる気がする。

政治の話に限らず、文句だけ言われたら誰でもうるさく感じるものだと思う。

子供の頃に親から、「宿題しなさい」「あれもできていない」と言われて、腹が立った経験がある人も多いのではないだろうか。でも、冷静に「こうすれば」という提案があれば、耳を傾けやすくなる。

政治の問題の改善案として、政治家を罰することを考える人もいるけれど、それだけでは根本的な解決にはならない。もちろん、犯罪をした人は罰せられるべきと思う。

でも国民が、政治家の監視や粗探しだけをしても、新しいアイデアは生まれにくいと思う。私たちも、職場で厳しいノルマを達成できずに罰を与えられる状況を思い浮かべると、長期的には身が持たないと思う。

私が聞いた民主主義では、国民が意見を出して政治がそれを実行する仕組みのはずだ。「こうすれば」「こうしてほしい」という国民の意見があってこそ、本来の民主主義がうまく回るのではないだろうか。

とはいえ、政治家に意見が届きにくいし、「どうせ変わらない」と諦めたくなる気持ちもある。でもSNSがある今、自分の意見を目にしてもらいやすくなった。

無名の私がこんなことを書いたって、ネットの海では石ころかもしれない。でも、誰かが私のブログを見て、また別の誰かが意見を書き、誰かが見る…と小さく影響していく可能性はある。

理想論でも、叶いそうにない提案だとしても、自分の考えを言葉にするだけで、周りは少し変わると思う。

「諦め」の鎖が外れる気がする。国を動かすほどではなくても、考え続けること自体が、もう“変わる側”に立っていると思う。

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