SNSにて、正論に見えて攻撃的な文句にモヤッとする。何かに怒るのは悪くないけど、伝え方が大事。
思いは、届く形に変えてこそ伝わる。
怒りに任せた文章が届かない理由、ネガテイブな話題の書き方を私なりに考えた。
旦那さんの助言
「公の場で文句を書くなら、人に聞き入れてもらえる形にしなさい。」
ネットで文章を書くようになってから、旦那さんに口酸っぱく言われている。SNSの「正論風」な文句を見て、彼の言葉の意味が分かった。
毒のある文と改善した文(例)
「介護をめぐる話題」について、ChatGPTと一緒に作った例文を紹介。
同じ内容でも、伝え方で印象は大きく変わる。そこを見てほしいため、Before/After文を作った。
Before:毒のある文
「介護の話で「親だから面倒見るのは当然」なんて軽く言う奴なんなの?クソ親に育てられた人に「親孝行しろ」なんてどんだけお気楽に生きてきたんだよ。虐待を受けた友達はみんな親の介護なんて無理って言うし、加害者が被害者に世話押し付けるのは理不尽すぎだし、親孝行って言葉で現実を見えなくしてるし想像力のなさに呆れる。」
言いたいことはわかる。でも怒りの感情が強すぎて、私は読む気をなくす。
After:改善した文
さっきの文章を、Chat GPTと一緒に修正してみた。
「介護について「親の面倒を見るのは当然」と言う人もいる。でも、すべての人に当てはまるとは限らない。虐待を受けた人でなくても、親の介護は難しいのが現実だ。「親孝行」という便利な言葉に、責任を押し付けていないか。もっと、それぞれの事情を想像する必要がある。」
同じ内容でも、
「私はこう思う」
「他の人はこうかもしれない」
「だから、こうしてほしい」
を意識すると、ただの不満が“届く主張”に変わると思った。
私が心がけたいこと
怒りを押し殺す必要はない。でも「伝える」ために、次のことを意識したい。
「私」の言葉で話す
主語を大きくせず、「私はこう思う」と自分の言葉で話す。
「相手の立場」に寄り添う
自分と違う背景も想像する。
例:⭕「愛されて育った人が『親は大切に』思うのは自然だと思う」
結論をコンパクトに
感情をぶつけるだけでなく、“伝えたい核”をひとことで。
✔:この文で一番言いたいのは何?
✔:読者にどうしてほしいの?
例:⭕「介護=当然と思わず、一人ひとりの事情を想像してほしい」
言葉を選ぶ
本音は残しつつ、読む人を攻撃しない表現にする。
❌:「親孝行しろとか言うやつ、マジで鬼畜」
⭕:「“親だから当たり前”という言葉が、誰かを追い詰めることもある」
怒りのまま書いた文章が、なぜ届かないのか
共有空間の意識が低いから
SNSは鍵アカでない限り、ソーシャルなものだから公共の場とも言える。でも「自分のアカウントだから何書いても自由」と考える人もいるみたい。
図書館の本で考えてみてほしい。借りている間は「自分のもの」に思えるけど、破ったり落書きする人は少ないはず。
それと同じで、SNSの投稿も「共有空間」だという意識があれば、文のトーンは変わる。
読む人を想像しにくいから
文字主体のSNSでは、顔も声も分からない。だからこそ、投稿内容がその人の“印象”になる。言葉がいつも荒いと、「この人は性格が悪いのかな」と思ってしまう。
画面の向こうには、名前も家族も悩みもある生身の人がいる。そう思うだけで、書き方が少し変わる。
感情のまま垂れ流すから
怒りや悲しみを吐き出したくなる時はある。感情をそのまま綴るのは気持ちがいいし、「言ってやった」という満足感もある。
でも、それを不特定多数にさらすと、読んだ側にはしんどさが残る。実生活で人に見せない行為を、なぜかネット上では簡単に晒してしまう人もいる。
一呼吸おくことで、“ぶつける”から“伝える”に変えられる。
さいご(自分への戒め)
憤りを伝えたいなら整えなきゃ、届かない。
「人に文句を聞いてもらいたいなら、聞き入れてもらえる形にしなさい。」
書く前にその言葉を思い出せたら、気持ちをこじらせなくて済みそう。





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