SNSに疲れた人にこそ、ブログをすすめたい。コメントを承認制にすれば、心を守ることができる。
私にとって、ブログは「自宅」。誰にも合わせず、大事な思いを自分のペースで書けるのが心地いい。
当たり前のことを忘れる
ブログを始めて半年、中には嬉しいコメントもあったけれど、どこかモヤッとする内容もあった。批判ではないけれど、読後に不快感が残る言葉。
それを「公開しない」と自分で選べるのが、ブログの良さだと思った。
SNSだと、一方的に悪口を書き込まれる。自分が頑張って書いたもの、大事な思いを感情的に攻撃された時は悲しい。
無責任に文句を投げつけるのは、受賞した作文にいきなり赤ペンで落書きするようなもの。現実なら問題視されるのに、ネットではそれが日常になってしまったように思う。
当たり前のようで、忘れていた。
昔と変わった空気
私は、10年前にもブログをしていた。あの時はまだ、心の込もったコメントが多かった。匿名であっても、誠意のある反対意見も送られてきたように思う。今はどうだろう?
「正論」ぽい文句を並べて、悦に入っているような文章も見かける。noteでも「し○」みたいな単語や、本文を読んでないと分かるコメントが並ぶこともある。
もちろん、温かいやりとりもあるけれど、数字やリアクションを優先するような空気に息苦しさを感じることがある。
言葉を選んで届けてくれる人
私のブログは、Googleアカウントのある人だけがコメントできる設定にした。
「誰でも」書き込めるようにすると、ただ文句をぶつけたいだけの人も来てしまうから。
本当に伝えたいことがある人なら、少しの手間があっても言葉を選んで届けてくれると思う。
誤解がないように言うと、反対意見を排除する気はない。
こちらの話を聞く気がない人や、「正論」と称してただ傷つけたいだけの人はお断り。
意見が違っても、尊重し合える人なら、私は喜んで言葉を交わしたいと思ってる。
「大都会」のSNS、「田舎」のブログ
noteやXは大都会みたいだ。人が多いからにぎやかで便利だけど、ふと孤独を感じる。見られることを意識して、つい人に合わせたり、期待しすぎたりしてしまう。
ブログは田舎の一軒家。人の出入りは少ないけど静かで、心が落ち着く。自分のペースで暮らせる感じがする。
ブログのコメント承認制は、家の玄関に鍵をかけるようなもの。誰かの庭にこっそり石を投げ込むような言葉に、いちいち反応したくない。
それに、私は現実でも、田舎寄りの町が好きだ。都会はたまに行くくらいが丁度いい。
「いいね」を求めるほど満たされない
SNSを離れて気づいたのは、「承認されたい」気持ちを外にばかり求めると、いつまでも満たされないということ。
最初からライクもコメントもない場所にいると、自分の楽しさや納得を自分で見つけるようになる。
さいご:自衛できる場所
心も、安心できる場所が必要だと思う。
コメントを承認制にできるブログは、心を守りながら、自分らしい素直な文章が書ける。「素直な」と言っても、人を傷つけることは書きたくない。
Xや他のSNSに疲れた人に、ブログという静かな場所をおすすめしたい。
以前、個人ブログに戻った理由、SNS時代だからこそ自分の思いを大切にしようと思った話を書いた。


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